GAUSSIANはなぜ世界中で使われているのか?
北浦和夫きたうら かずお |
世界標準の地位を確立
今日、多数の量子化学計算プログラムが存在する中で、GAUSSIANが世界中で圧倒的なシェアを誇っている。このプログラムは、1998年に「量子化学における計算化学的方法の展開」の業績によりノーベル化学賞を受賞したJohn A. Popleのグループによって開発され、現在はGAUSSIAN社から提供されている。「GAUSSIANが動かないスーパーコンピュータは売れない」と言われるほど、学術界のみならず産業界にも広く普及し教育・
学術研究・開発研究に活用されている。
この圧倒的なシェアを背景として、量子化学計算の「標準」の地位を獲得している。「標準」とは、他のプログラムの計算結果が正しいかどうかの検証に使われるという意味だけではない。多数の人が用いるので、GAUSSIANに実装されている理論・計算方法が標準的計算法とみなされるという意味でもある。これは、第一級の研究者たちが、継続的に先端的な理論・計算法を開発してコードを提供している結果である。
抜群の使いやすさ
GAUSSIANは1970年版(GAUSSIAN70)から始まるが、私がこのプログラムに接したのは1975年からである。そのときに受けた衝撃は今でも鮮明に覚えている。当時はFORTRANで3万行ぐらいの規模(当時の超巨大プログラム)であったと思うが、まず、プログラムの構造の斬新さに驚い
た。そのころはオーバーレイ・セグメント方式と呼ばれていたが、2電子積分計算部分、SCF計算部分など計算の各ステップごとにほぼ独立に作られていた。このために、新しい機能を付加する際には関連する最小限部分の改変ですませることができ、新規理論・計算法を検証する際の優れたプラットフォームであった。
もう1つの衝撃は、コメントのどこかに「有機化学者のための量子化学計算プログラム」と書かれていたことである。当時は、アメリカ以外では、量子化学者がやっとab initioMO計算を始めたときである。今振り返ると、GAUSSIANは開発当初から「量子化学」ではなく「化学」の研究ツールとしての今日の状況を想定していたように思える。
そして、1980年代半ば以降、計算化学者の増加と実験研究者が自ら量子化学計算を行う時代に入ってGAUSSIAN利用者が急増した。当時、HONDOなどいくつかのab initioMO計算プログラムが普及していたが、それらの中にあって、使いやすさ(主に入力データの作成の容易さ)の面でGAUSSIANが群を抜いていた。これは広く使われるために当然とも言える要件である。
ユーザーの数が多くなると必然的に改善・改良に関するフィードバックも増えることから、これらに対応することにより他の類似プログラムに対する優位性をますます広げていくことになった。
日本発のソフトウェアを世界へ発信するチャンス
わが国発で世界で普及している学術プログラムが皆無であることが憂慮されて久しい。誤解のないように述べておくが、世界で普及している量子化学計算プログラムであるGAUSSIANやGAMESSなどには多数の日本人研究者がコードを提供している。これらはアメリカ産ではあるが、いわゆる国際的コミュニティコードと見なすことができる。いずれもFORTRANで百万行にも及ぶ超巨大プログラムとなっている。
これらに対抗するプログラムを一朝一夕に開発できるとは思えない。仕切り直しで挑戦するチャンスが来るとしたら、既成の解き方とは異なるまったく新しいアルゴリズムを発案するか(これが最も望ましい)、コンピュータのアーキテクチャやプログラミング言語が一新されるか、など既成のプログラムが恐竜化するときしかないであろう。
このように考えると、これまでと桁違いのCPU・コア数をもつ超並列計算機が普及の途についた今が、次世代のエクサフロップスコンピュータを視野に入れた画期的な並列計算プログラムを開発して、世界に向けて発信する数少ないチャンスであろう。