現在位置: ホーム torrent No.8 日本語版 【第3回 卒業生を訪ねて】 計算化学アプローチで創薬の最前線を走る

【第3回 卒業生を訪ねて】 計算化学アプローチで創薬の最前線を走る

産業界で活躍する計算物質科学の「卒業生を訪ねて」第3回は、武田薬品工業で創薬に取り組む多和田倫子さんを、CMSI拠点研究員の米原丈博さんが訪問。大学院での研究、創薬の仕事についた経緯、創薬における計算機の役割などをお聞きしました。

卒業生

多和田 倫子 

たわだみちこ


武田薬品工業株式会社
医薬研究本部 化学研究所

東京大学大学院総合文化研究科
で物理化学と量子化学を専攻し、
化学反応過程における電子の
動力学を記述する理論計算手法
を研究。修士号を取得後、
武田薬品工業に入社。

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人に役立つ製品をつくる仕事を志して
米原 創薬の仕事を選ばれた動機をお聞かせください。
多和田 大学では、有機化学、物理化学、無機化学、生物化学と化学全般を学んだのですが、その中で生命の機構を物理の基本原理を用いて説明することに興味をもちました。大学院では理論計算手法の開発に取り組み、その過程で人の役に立つ製品を生みだす仕事をしたいと思うようになりました。大学院での研究を生かせる仕事を探していて、創薬の世界を知り、今の研究所に入りました。
米原 薬の開発というのはどのように進められるものなのでしょうか。
多和田 まず、疾患発生の鍵となるターゲットタンパク質(創薬ターゲット)を定めます。ターゲットタンパク質にはいろいろなものがあり、疾患の原因に関わっている場合は、その機能を阻害あるいは増強することで疾患の治療が可能になります。次に、ターゲットタンパク質と結合する化合物を膨大な化合物ライブラリの中から見つけだします。これが薬剤候補の起源となる「シード化合物」です。 このシード化合物を基にして、ターゲットタンパク質とより強固に結合するように構造を変換していきます。これを「リード化合物の最適化」と言います。そして、薬効や安定性を評価して薬剤として望ましい化合物を選別し、工業化するための研究に進みます。
米原 多和田さんはどこを担当されているのですか。
多和田 私は計算化学グループに所属しており、主な業務は、シード、リード化合物の発見と、リード化合物の最適化です。前者については、実験によるスクリーニングと計算によるバーチャルなスクリーニングの両方が行われていて、私たちはバーチャルスクリーニングを担当しています。後者の化合物最適化については、ターゲットタンパク質の立体構造やリード化合物の情報を基に、十分な結合活性をもつ化合物をデザインしたり結合活性を予測したりします。
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創薬における計算化学の貢献
米原
 バーチャルスクリーニングを行うときの計算の規模はどのくらいですか。
多和田 主に計算は社内に保有するクラスターPCで行いますが、数週間ぐらい計算機を回します。
米原 検索する化合物数は?
多和田 ケースにもよりますが、数十万から数百万です。そこから、数十に絞り込み、実験部門にバトンタッチします。
米原 化合物を検討するときには、どのようなデータを見ているのですか。
多和田 例えば、リード化合物とターゲットが離れている状態とドッキングした状態との間のエネルギー差から相互作用の安定性を調べます。モデル精度に限界があるため、スコアと活性は必ずしも対応しません。そこで、さまざまな工夫をしています。
米原 結合特性を調べる上で、エネルギー評価に比べ、原理的にはより詳細な結合過程に関する情報を得ることができるアプローチ、例えば、時間に沿って分子の挙動を追跡する動力学計算等に頼る必要は特にない、と考えてよろしいでしょうか。
多和田 そんなことはありません。計算機パワーに限界があるため、通常は使っていないだけです。
 われわれのグループでは、動力学計算を使ったスクリーニングが可能になる時代に備え、技術を蓄え、準備を進めています。
米原 多和田さんは計算化学グループの中堅とうかがっていますが、入社された当時と今では計算機環境も大きく変化したのでしょうね。
多和田 大規模な計算が可能になっただけではありません。大きな変化は、タンパク質の構造に関する高精度のデータが得られるようになったことで、それに基づいた計算によって信頼性の高い結果が得られるようになりました。
米原 タンパク質構造の情報が実際の開発に生かされた例は?
多和田 弊社の海外の研究所によるものですが、糖尿病治療薬であるDPP-4阻害薬 (*1) は、タンパク質構造の情報を基にした化合物最適化によって、早期の実用化に成功しました。
米原 創薬の現場で望まれる計算ツールは?
多和田 タンパク質と結合しやすいかどうかを自由エネルギー評価に基づき予測するツールや、設計した化合物の安定性を見積もるツール、体内への吸収率について調べるツールがあるとよいと思います。また、望ましくない副作用を予測するため、他のタンパク質への影響を調べるソフトがあればいいですね。CMSIの研究に期待しています。

企業の研究者に求められる資質
米原
 開発に携わった薬剤が製品化されたことは?
多和田 薬の実用化を経験できる機会は、研究員が生涯勤めている間に多くとも1、2回程度です。創薬から製品化に至るまでは通常10年以上の期間が必要です。私自身、開発した薬が実用化されたという経験はまだないですが、自分の研究結果が他の人の開発工程に役立ち感謝されることは嬉しく、励みになります。それが私にとってのやりがいといえると思います。
米原 仕事上、さまざまな知識が必要になると思われますが。
多和田 創薬の知識は研究所に入って一から身につけました。開発現場で特に必要となるのは、専門知識に加え、それを臨機応変に活用する能力です。計算化学を含め、広範囲にわたる化学の知識が要求されますが、必要に応じ学ぶのは大学でも企業でも同じですね。
米原 創薬の過程で得られた基礎知見を同業他社の人と共有する機会はありますか?
多和田 学会等を通じて交流しています。アカデミック系では、日本生物物理学会、薬学会、企業系ではメディシナルケミストリーシンポジウム等があり、またソフトウェアのユーザー会を通じても可能です。一般的な開発手法も話題に上がります。
米原 企業の研究活動を志す人に、企業と大学との違いをひとこと教えてください。
多和田 私自身は大学時代、研究成果がもたらす影響をあまり考えませんでした。しかし企業の研究所では、自分の仕事や研究が周りの人に大きな影響を及ぼします。それを考えると、割り当てられた仕事の優先順位付けに関しても慎重になります。また、企業では、人の役に立ちたいとか、皆で1つの目標に向かってプロジェクトを進めたいという思いが良い仕事に結びついているように感じます。ですから、一緒に仕事をしてくれる人に自然と感謝できるような人は企業に向いていると思います。
米原 集団でのモノづくりの原点を示していただいた気がします。今後のご活躍を期待しています。

(2013年5月27日 武田薬品工業湘南研究所にて)

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*1 DPP-4阻害薬: 糖尿病は分泌インスリン量の低下、もしくはインスリン自体が十分に機能できず、慢性的な高血糖状態に陥る代謝性疾患。DDP(ジペプチジルペプチターゼ)-4は、インスリンの分泌を促すインクレチンと呼ばれるホルモンの分解酵素であり、この阻害薬はDDP-4を選択的に阻害できる。